PSOを振り返って(長いよ
長かったような短かったような、やっぱり長い10年だったんだと思う。
2000年暮れにドリームキャストでこのゲームを始めた時は、こんなに続くと思っていなかったし、一つのタイトルをハードを超えてまでやり続けるとは思ってもいなかった。
当時と比べ、現在はインターネット環境からして全く違うし、PCも安価で高性能なものがそろってきた。
それに付随するかのように、ネットゲームも台頭してきて今では常識ともいえる状況になってきた。
課金システムだけ見ても最近のネットゲームは基本料無料+アイテム課金と、初心者が導入しやすいのに対し、PSOでは10年前では当たり前だったかもしれない月極課金制度を、いまだにとっていたので少し時代遅れになってきていたかもしれない。
ここからしばらく思い出話になる。
家庭用ゲームハード初のオンラインRPGとして、ファンタシースターオンライン(以下PSO)がリリースされたのは20世紀最後の月のこと。 新時代型RPGが21世紀を前にして発売されるとさわいでいた。
一方自分は、弟から借りてメガドライブのPS4をやったことがあったくらいで、発売前のPSOには興味はなく、PSO の初回限定に同梱されていたソニックADV2体験版に興味が向いていた。
とはいえ、せっかく買ったのだから、せっかくオンラインで遊べるのだからと、Amy という白いHUnewearl を作り、オフラインモードもそこそこに、インターネットにつないでみた。
# ちなみに Amy は、ソニック・ザ・ヘッジホッグの”エミー・ローズ”から借用した。
オンラインRPGこそ初めてだったが、他のオンライン対戦ゲームはやったことがあったし、チャットもそこで体験済みだったからオンラインで遊ぶことに抵抗はなかった。でもPSOには、自分の想像を超える世界が広がっていた。
それまでのRPGでは、(当たり前だが)相手はコンピュータであり返答も通り一遍等。そしてオンライン対戦にしても、相手のハンドルネームは記号というか識別子な意味合いが強く、それこそゲームセンターでの対戦と大して変わらないようなものだった。
それが出会う人すべてが、自分の発言に対し生の返答が返ってくる臨場感。自分の意図しない行動をする本当の”仲間”には、回復してくれたことに対し感謝したり、効果的な戦い方をしないことにいらだちを感じたりした。
特に、この「感謝をする」という感覚はそれまでのRPGにはなかった感覚で、それまではしょせん自分がすべてのキャラクターを操作するわけだから、回復しても感謝なんて感じるわけはなかった。
オンラインゲームを完全に見くびっていた。
ただ同じフィールドで同じゲームを遊ぶだけじゃなかった。
直接顔が見えないのも、相手に対して、年齢差、性別、国籍も越えて先入観を持たずに一緒に遊ぶことのできた大きな要素だったと思う。言葉さえ通じれば相手が外国人でも自然に遊べたし、足が不自由な方がいてもゲームの中では一緒に走り回れた。
初めて一緒に遊んだ人は、バイクで足に大きなけがを負って車椅子だといっていたし、あまりに流暢な日本語チャットをするから日本人だと思っていたら、香港在住の中国人だということもあった。
# 吹き出しやシンボルチャット、ワードセレクトなどのシステムの素晴らしさも、大きな要素の一つだと思う。
そんなゲームだから1年半くらい遊んでも飽きることはなかった。初めて出会う人と遊ぶたびに、新しい感覚を覚えた。
# そのころは、レアアイテム集めに興味はなかったし、
# レアを集めないなら素潜りや常設クエストは作業だし
# DCでの友人はGCに移行し始めたが、予算の都合上
# GCに移行できない自分はチャレンジモードを遊ぶようになっていた。
2002年夏、就職や生活環境が変化することで、今まで通りログインすることが困難になり、一時PSOから離れることになる。
# 余談だが、このPSOから離れている時期に、自分の将来を決めたといっても過言ではない
# DCのオンラインゲーム”エアロダンシング”が2003年3月でサービスアウトする。
# 終わる瞬間に立ち会うことはできたが、自分にとってこれが初めてのオンラインサービス終了の瞬間だった。
このころGC本体を購入。GCPSOも購入はしていたから、数回はログインしていたが、DCの頃の友人を探し出すことはできなかった。
そんなことや忙しさもあり、ep1&2もep3プレイすることはほとんどなかった。
2004年春、PSOBB のオープンβテストが開始されることを聞きアカウントを取得し、DC時代の友人がみかけて気づけるように、再び Amy を作り探したが(もしかしたら続けていた人もいたかもしれないが)見つけることはできなかった。
単発で乱入しつつ形式通りのあいさつを交わし、ギルドカードを交換し、たいしたチャットもなしにログアウトしていた。
一度PSOから離れていたためか、PSOBB自体に新鮮味は感じられず旧友も見つからなかったこともあり、1か月ほど遊んで7月の正規サービスに移行する前に遊ばなくなってしまった。
しかし11月ごろ、会社の人がPSOBBをプレイしているのを見かけ、PSO熱に再び火が付き、高校時代の友人を二人誘い、太陽のように明るく暖かいチームにしたい思いを込めて”Le-Soleil”(太陽(仏))というチームを作る。PSOを遊ぶにあたって、友人二人がそれぞれ HUmar、RAmarl で遊びたいといっていて、いちばんPSO歴が長かった自分が FO を担当することになり、FOmar のキャラを作る。これが”比良坂”の始まりだった。
2005年の5月ごろ、チームを作ったのだから、こんどはホームロビーがほしくなり、空いているロビーがないか一人乱入しつつシップを転々としていたころに 捕まった 出会ったのが、しすた?ぼんぼんずホームロビーの 4-8-1 通称あいさつロビー。
このロビーとの出会いは比良坂にとってPSOで2度目の衝撃だった。
それまでの自分の常識では、チャットルームは特定の仲間内で作成されるものであり、ロビーとはいえそういったものの延長でしかなかった。そもそも内輪話しかしないチャットルームに、見ず知らずの人が入ってもお互い面白くないのだから、後から来た人が出ていくのを黙って待つことが普通で、会話に介入してくるかもしれない他人に声をかけるなんて思いもよらなかった。
4-8ではあいさつはするが、深く絡んでこない。押しつけ感がなく、チャットをしていても心地いい空間だったから、自分もその仲間に入れてほしくて顔を出してはいたが、ずっと部外者の感覚が取れなかった。
そんな折、しすた~ぼんぼんずでPSOをお題としたユーザ主導イベント川柳大会を行うと聞いた。精度は高くなくても数で比良坂の名前を覚えてもらおうと、投稿数1番を目指したのが初めてしすた~ぼんぼんずとの交流だった。
# 結局投稿数は1位に10句及ばず3位。
それからも一緒に遊んでもらったり、オフ会に誘っていただいたりもしたがやはり「拾ってもらった」感じがぬぐえず、4-8-1を「ホーム」と呼べなかった。
その年度末の5周年記念が終わったころ、ドッガーというGMが各ロビーを周っていて、4-8にもやってきた。
そのGMドッガーに、「10周年まで続けてね」と言ったところ、「確約はできない」と言われた。
その時は「ですよねー。でも応援してますよ」っという感じで笑って済ませたが、内心「10年持たないんだな」と思った。
そして、2006年1月をピークに一人、また一人とロビーから人が去っていき、2007年ころにはそれに拍車がかかった。思い返せば2007年はとても悲しい年だった。DC版PSOのネットワークサービスが3月に終了した上に、親しい友人が立て続けに3人いなくなったから。
一人はおそらく元気にやっているんだと思うが連絡先を知らない。
だが、あとの二人は、もう二度と会うことはないことを知らされた。
でも比良坂の周りには、まだ友達がいて支えてくれたから、折れることはなかった。
そして、こう思った。
– 去った友達もふらっと戻ってくることがあるかもしれない。
– 戻ってきたとき、いつものロビーに誰もいなかったら探してしまうだろうから、4-8で留守番をしよう。
– 自己満足かもしれないが、比良坂が4-8に拾われた恩を返すには、これくらいしかできない。
# 2007年に投稿した、「どこか遠く、ここじゃない別の場所のおはなし」は、このころのPSOの話がもとになっている。
2008年ころ、行きつけの4-8は自分か、もう一人別の友人くらいしかいないことが多くなり、用事でその友人もログインできないことがたびたびあった。その時4-8では一人だった。ほかのロビーに行けば知り合いはいたが、帰ってくる人がいるかもしれないと思うと場所を変えることはできなかった。
でも2009年も過ぎるとそんな状況に慣れてしまっていた。一方で、ドッガーの言葉もたびたび思い出すようになった。
そして2010年。
PSOBBは7月に6周年を迎え、運営スタッフのあいさつに、「PSOは今年で10周年を迎え、これまでの10年からこれからの10年へ大きな転換の年になるでしょう。しかし本家PSOBBはまだまだ続きます」といった内容が書かれていた。
その挨拶文をその通りに受け止めた少し安心した比良坂だったが、それから3か月後の10月末に、ご存じのとおりPSOのすべてのサービスが終了する旨が発表される。
この発表に対し、まだ終わるには早いという意見もあったし、こんなに急な発表はありえないといっていた人もいた。
しかし比良坂はこの発表を、少しさびしく思いながらも当然のように受け止めた。
ほとんどユーザのいなくなってしまったこのサービスを、よくぞ10年も続けてくれたと感謝した。5年前の約束を覚えてくれたのだと勝手に解釈したからだ。
そんな中12月に入ったこのタイミングで、友達に誘われたと新規にやってきた人がいた。
その人とチャットしたりゲーム本編を遊んでいるうち、自分が楽しく遊んでいた日々を思い出した。
ほんの1か月前まで感謝までした運営陣に対し、サービスが終わる直前になって恨みさえした。
どうして10周年のこの時期かと。どうして3月まで待てなかったのかと。年を越せないのかと。
そういう歯がゆい思いを抱きつつ、PSOはその全サービスを終了した。
Amyや比良坂と駆け抜けたこの10年間。本当にたくさんのことがあった。
喧嘩もあったし、うまくいかなかったけれど仲裁にまわったこともあった。PSOを通して比良坂にとって、きっと大きなプラスになっているはずだ。
「PSOの終わりが友情の終わりではない。思い出もなくなるわけではない。」そんなキレイごとではなく、PSOでしか付き合いのなかった方たちとの関係が終わってしまったことに気づいて、こんなに自分を揺るがすゲームだったのだと三度大きな衝撃を受けた。
2011年、PSO2が発売されるというから、嫌が応にも期待は膨らむが、これほどのインパクトを受けることはおそらくないのだと思う。友人たちともどれだけ再会できるのか。現在は不安しか残らない。
比良坂と遊んでくれた人全員にあいさつすることはできなかったけれど、この場を借りてありがとうと伝えたい。
DCからPSOBBではなしえなかった再会だが、PSOBBからPSO2では多くの友人たちと再会できることを切に願いつつ、ひとまず終わりとする。
サイト内Link: どこか遠く、ここじゃない別の場所のおはなし
比良坂さんおつかれさまでした~~~! 年数入りで詳しく書いてくださったおかげで、その時僕は何してたかが思い浮かんで、大変わかりやすかったです。
「長い間で留守番を」ってところがグッときました。形は違えど僕もその様なことを続けてましたから。
せんせのとこではお久カキコですb 全部読ませて頂きましたが、せんせの熱い思いがひしひしと伝わってきました♪
らぴもドリームキャストの頃から始めたので、そゆ気持ちわかりますb
今年はPSO2もでるみたいですが、またご一緒できたらやりましょねぇ~~
(せんせの酔ったお顔に萌えました( *´艸`)w
お疲れ様でした~Amyさんのおかげで最後、素敵な思い出ができましたよ。
特に「彼女」にとってそうだったと思います。尚更貴重な思い出になったでしょう。
ぼくにはもう普通になってしまったことですが(こらw)
手取り足取りゲーム方法を教えてもらう経験というのが
ちかのっくにとっては新鮮で刺激的な経験だったようです。
これも比良坂さんのこれまでがあってこそのことだったと思います。
これで潰えることなく、何かに繋がればいいな。と、思っております。