どこか遠く、ここじゃない別の場所のおはなし
桜も満開のこの時期に、みんなの遊び場から仲のいい友達がまたいなくなる。
今度ここを去るその子は、似顔絵を描くのがうまくみんなの人気者だった子だ。
今までも、この遊び場にもう来なくなった子は何人も居た。その中にはこの場所が好きだけどいろいろな理由で去らなければなかった子も居たし、ただ単純にこの場所に飽きただけの子も居た。
似顔絵のうまいその子はこの場所が好きだった様に見えたから、何も言わずにここから居なくなろうとしたことに僕は寂しさを感じた。
きっとそれには理由があるのだろう。涙の別れをしたくなかったのだと思う。しかし、後からそのことを知らされたほうがもっと寂しい思いをしていただろう。
僕がここに引っ越してきたのは2年前の春だ。
そのころの僕はまだみんなとあまりなじめなかったけれど、その子が僕の似顔絵を描いてくれた。それをきっかけにみんなと友達になることができた。
僕にとって、その子との思い出でこれといった大きな出来事というものはなかったし、その子はみんなに慕われてほかの子達ともよく遊んでいたから、こんなに喪失感があるとは思いもしなかった。
かくれんぼや宝探しや鬼ごっこ。そういった取り留めのない小さな思い出が積み重なったことが、ここでのその子の存在を大きくしていたのだと思う。
その子がいなくなるのを知ったのは、イースターを来週に控えた週末。僕がいつもの遊び場に行ってみると友達が何か話していたのだ。何の話かと聞いてみると、その子が今日から二日後を最後にもう遊びに来なくなってしまうというのだ。
誰かが言っていた。
人と人とのつながりには限界があると。だからその子はこの遊び場に来ることができなくなるのだと。
しかし僕はこう思う。たとえ一人ひとりの人とのつながりに限界があり、それゆえほかの人とのつながりが切れてしまいそうになっているとしても、ほかの人はまたその人自身のつながりを持っているのだから人のつながりはどんどん広がっていくのではないかと。
実際、そんなきれい事がないのは知っている。その子がどこに行ってしまうか、どこに行けばまた会えるかは教えてくれなかったから、その子が再びここに来ない限りもう会うことはないだろう。
別れ際にその子は「もう二度と会えなくなるわけじゃない」と言っていた。
でもきっと、このみんなの集うこの遊び場で会うことは、もうないかもしれないとなんとなく感じた。
たぶんその子は新しい目的地を見つけた。そしてそれに向う旅に出たのだ。僕はただ、その旅が順風満帆の平穏な旅であることを祈る。
いつかこの遊び場は取り壊され、なくなってしまうだろう。
でも僕はこの遊び場がなくなってしまうそのときまで、ここでみんなを待っていようと決めた。旅立っていったみんなの帰る場所を作っていようと決めたのだ。
よそ者だった僕を温かく迎えてくれたみんなへの感謝のために。またいつかみんなで、他愛のない話が当たり前にできるように。旅の途中ふと戻ってきたみんなにおかえりなさいと言いたい。
う?ん‥‥‥深いですね。